【有名メディア元編集長×双極症】エリート街道の裏で起きていた、心と体の異変/休職と復職を経て/オーバーワークの結果(井上慎平)

公開日: 2026.8.17

▼この記事の対談動画はこちらからご覧頂けます。
https://www.youtube.com/watch?v=ASiyUPpEQs0

この記事の要約

  • 出版社で本作りのキャリアを始めた井上慎平さんは、経済メディアNewsPicksの書籍レーベル創刊編集長として、編集・事業・チーム運営のすべてを背負い、「全部やらなきゃ」という重圧のなかで走り続けました。
  • 子育てとコロナが重なり残業もできない状況でオーバーワークとなり、4回の休職を経て双極症と診断。最後の10か月の休職を機に編集長以外の役割を手放し、会社全体に病名をオープンにして復職しました。オープンにできたのは「肩書き」「家族の理解」「社風」がすべて青信号だったからだと振り返ります。
  • うつで動けない自分を責めないこと。「頑張る→いい結果が出る」という因果の物語から抜け出し、自分にはコントロールできないものがあると認めることが、惨めな気分と付き合っていく支えになっています。

今回のテーマについて

双極症で働くヒントが見つかる、双極はたらくラボの松浦です。
今回のテーマは「双極症で働くことと弱さ」です。双極症の当事者で、ご著書『弱さ考』が話題の井上慎平さんをお招きしました。
井上さん、今日はよろしくお願いします。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

よろしくお願いします。

はい。では早速ですが、簡単で構いませんので自己紹介をお願いします。

松浦
松浦

今回のゲストはこんな人

井上さん
井上さん

はい。井上慎平と申します。一言で言うと、ずっと本作りに携わる「働く」をしてきた人間かなと思います。
最初は新卒で出版社に入社して、2社ほど出版社を経験しました。その後、同じ出版ではあるのですが、メディアの中で書籍部門を立ち上げようという話があって。たまたまご縁があり、その立ち上げの時に「1人目をやってくれ」と言われまして。

井上さん
井上さん

なので、創刊編集長という形で本作りをしつつ、片やビジネスの部分も持ち、オペレーションも持つ、という働き方になりました。
それまではゆっくり本作りをしていればよかったのに、まったく違うところに来てしまって、ちょっと頑張りすぎてしまったんですよね。そこから休職を何度か繰り返して、双極症(双極性障害)※1を発症しました。
大まかには、現在地は今そこですかね。

※1 双極症(双極性障害):気分が高まる躁・軽躁の状態と、気分が落ち込むうつの状態を繰り返す精神疾患。近年は「双極症」という呼称が用いられる。

はい、ありがとうございます。

松浦
松浦

実は井上さんとは、あるイベントで登壇されているのを私が追っかけのように見に行って、終わりがけにお声がけしたのが最初でした。
その時は、調子が悪かった時期でしたか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。「良くはない」が、ずっと続いている感じですね。

そうですよね。

松浦
松浦

そこから時間が経って、『弱さ考』を読ませていただきました。この後の話にもなりますが、私自身の経過にもすごく重ねてしまうところがあって、すごい著書だなと思い、ぜひお話を伺いたいと思っていました。

それと同時に、この本が出た時にいろんなインタビューや動画に出られていて、名だたる方々がインタビューしているのを見ました。書籍を読んでも分かるのですが、井上さんの思考がすごすぎて。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

やめてください。すごく低いところから行かせてください。

いや、私としては、周辺情報からすごく高く見てしまっているかもしれないですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

今YouTubeを見ている人が「すごいんだ!」となると…。

なので、私の一方的な想像が膨らんでいる部分もあって、今日は本当にお話を伺えるのを楽しみにしていました。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

こちらも楽しみにしていました。

動画出演の理由

ありがとうございます。ちなみに今回は急にお声がけした部分もあるのですが、出演を引き受けてくださった理由は何かありましたか

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。でも、双極症にもいろんな症状があるじゃないですか。僕はうつの方がよく出がちだったんですよね。躁よりもうつの方が、バランスとして長い時間を過ごしていたので。

井上さん
井上さん

どのタイプであれ、自分がしんどい時に支えてもらったなと思うのは、「かつてはそういう症状だったけど、今の俺は大丈夫」という成功談ではないんです。双極に限らず、障害だったり家族との関係だったり、いろんな苦しいものを背負って、今もまだ同じ世界で毎日生きているんだなと見せてくれた人に救われた部分があるので。
僕もまだ症状を抱えながら生きている身として、出演する意味はあると思いますし、お声がけいただいたからには喜んで、という感じです。

ありがとうございます。

松浦
松浦

まさにこのメディアで届けたいことも同じです。双極症は一生付き合っていく病気とも言われているので、ある一地点を切り取って「成功」とか「もう抜けました」ということではなく、大変ながらも、その経過の中での工夫や体験を共有していただくことにとても価値があると思っています。今まで出ていただいた方も、そういう方々が多かったんですよね。
今日はぜひ、井上さんにいろいろ聞けたらと思います。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

はい、何でも聞いてください。

大学卒業から出版業界へ

これは皆さんに伺っているのですが、改めて、井上さんが社会人になってから今までについてお聞きしたいです。最終学歴は大学ですよね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。

大学ではどんな専攻で学ばれていたんですか

松浦
松浦
井上さん
井上さん

大学の時はすごく良くない学生だったので、振り返って偉そうには語れないんですけど。今ならよくある、文系も理系もどちらも入れるような学際的なところでした。結局あまりちゃんと学んでいなかったんですよね。専門は国際情勢でしたが、「専門です」と言えるほど立派な学生ではなかったですね。

でも、それはストレートで卒業されたんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ああ、休学をしたりはしました。ただ、その時はまだ双極症を発症していなかったので、まったく個人的な理由なんですけど。
そして、普通に就活をして出版社に入ったという感じですね。

1つ目の出版社ですが、そもそもなぜ出版社だったんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

いや、今だったら綺麗に言おうと思えば言えるんですけど、ありのままに言った方がいいですよね。すごく世間を舐めた学生で、「働くの嫌だな」とか、就活でスーツを着るのはダサいなとか思いながらやっていました。
でも、「本とか雑誌ぐらい作るのだったら面白そうだから、やってやっていいか」みたいな、今思うとすごく舐めた学生だったんですよね。

本や雑誌は好きだったということですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

いや、もちろん全く読まないことはないですけど、本好きは上に上がいすぎて、とても本好きだと言えるようなものでもなくて。今振り返ると、たまたまそんな生意気さを「いいな」と思っていただいて、ご縁で拾っていただいたのがディスカヴァー・トゥエンティワンというところでした。出版社は中小企業が多いんですよね。

名前はすごく聞きますけどね。大きくはないんですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ああ、そうですね。人数で言うと、僕は離れてだいぶ経つので今は分かりませんが、入った時は50人くらいだったと思います。
「本作り、楽しそうだな」というぼんやりした感じで、最初は今思えば「雑誌を作りたい」とまで言っていましたからね。

そうなんですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

何でしょう、お伝えしたいことがあるとすれば、そんな立派な志で動いてはこなかった、ということぐらいですかね。

1社目には何年いらっしゃったんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

計7年ぐらいですかね。

7年ですか。私は振り返ると、今の会社こそ15年目なんですけど、それまでは2年以上続いたことがないのですごいなと思います。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ありがとうございます。

20代の働き方と最初の予兆

その当時、双極症の視点で考えた時に、1社目では特に影響はなかった感じなんですかね

松浦
松浦
井上さん
井上さん

今振り返ると、本当に短い期間のうつっぽさは出ていたけれど、その範囲で言えばほとんどの人が当てはまるんじゃないかというくらいのもので、あまりなかったですね。
ただ、過剰に仕事に対してストイックというところは、20代前半からすごく顕著だったなと思いますね。

具体的にどうストイックだったんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

中高と、文化系か体育会系かで言えば体育会系で来ちゃった人間なんです。なので、「迷わず努力すべし」「限界まですべし」みたいな、その先に何があるかはどうでもいい、というところがあってですね。
部活でも、一番うまくなりたいから最後まで残って練習しているようなやつだったんです。そのマインドですね。

バスケットボールですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ハンドボールです。部活の仲間からは「お前は30までに過労死する」なんて、みんなで盛り上がっていたんですけど。結果的に30ぐらいで発症してしまったので、続かないという意味ではまあまあ当たっていたんですよね。元々そういう人間でしたね。

ストイックですね。1社目の時も、誰よりも仕事をしていたという感じですか。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。いろんな会社があることを後に知るので、あくまで出版社の中での話ですけど、努力が第一みたいなところはありましたね。

でも、それでうつっぽさも乗り切れたということですよね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

うん、そうですね。体力があるうちは、ですかね。発症したのは多分31歳ぐらいなんですけど、その時とはまた状況が違ったので、危なっかしさが顕在化しなかったんでしょうね。

ストイックにやっても乗り切れる体力があって、ちょっとしたうつっぽさも乗り切って7年やっていた、と。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。潜在的にはあったと思うんですけど。一度、「これは精神科に行った方がいいのかな」と予約を入れたことがあって。でも1週間後の予約までに症状がそんなになくなってしまったので、「なんで来たの?」みたいな微妙な会話になってましたね。

精神科に行く、予約をするというのは、私はすごくハードルが高かったんですけど、予約はされたんですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。「ちょっとこれは良くないのかな」という。
兆しみたいなことで言うと、僕は海とか山とかを眺めるのが好きなんです。仕事一筋みたいなところもあれば、逆にぼーっとしたいというところもあって、両方を持ち合わせているんですけど。
鎌倉が近いので、よく海を見に行って、由比ヶ浜でぼーっと座って何時間かして帰るということをしていました。そうしたら、帰りの電車がすごくダウナーな感じだったんですよね。

井上さん
井上さん

それは、普段無理してアッパーにやっている自分が、ちょっとガス抜きをするとガスが抜けすぎてしまうということで。素質というか、特性として秘めていたものはあったんでしょうね。その時は全然気づかなかったんですけどね。

ダウナーになって、これはまずそうだなと思って、一度精神科を考えたということですよね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。ダウナーになったと言っても、寝ていれば治るという程度でした。20代の長い期間、結構がむしゃらに働いていて、一度「これはちょっと精神科の門を叩かねば」と思って。でも結局、行っても何もなく、薬も処方されなかったということがたった1回あっただけなので、あんまり大きいことはなかったですね。

そうなんですね。
では、7年で転職しよう、辞めようと思ったんですか?

松浦
松浦

News Picksへ入社

井上さん
井上さん

そうですね。その後は違う出版社にご縁があって、ダイヤモンド社というところに2年いました。2年しかいられなかったというよりは、もう少し長くいる予定だったんですけれど。
たまたま、最初の自己紹介でお伝えした経済メディアの中で書籍のレーベルを始めないか、というお話をいただいて。そういうのに燃えるタイプだったので、「まだ2年しかいませんが、すみません」という形で3社目に移ったという感じですね。

それは、3社目から声かけがあったんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね、声かけです。たまたま編集者だったので、いろんな方にお話をする中で、松浦さんもそうですけど、ご縁をいただくことが多くて。
3社目、自分が創刊編集長を務めたNewsPicksというところが、すごくザ・ベンチャーという感じだったので、「ザ・ベンチャーでもやっていけそうな活きのいいやつだから来いよ」みたいな、それぐらいの感じです。

ダイヤモンド社の時は、特に働くのも支障なく2年が過ぎていったという感じでしたか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

本当に理想的な働き方でしたね。うん、ホワイトな職場で。

NewsPicksには何歳の時に移ったんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ちょっと厳密には分からないですけど、ざっくり30手前くらいですかね。

私もそういう経済メディアが好きで、NewsPicksが立ち上がった時も見ていましたし、多分初期に1回か2回は入会したような気がします。
毎月本を出すというのが出た時に、「すごいな」と同時に「これはできるのかな」と思ったんですけど、その書籍レーベルの編集長をされていたということですか

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ああ、そうですね。NewsPicksというメディア自体は、スマートフォンで見るオンラインメディアですよね。それが何を思ったか書籍のレーベルを始めるという、すごくイレギュラーなことをやっていて。
僕はよく勘違いされがちで、NewsPicksというメディアの編集長だと思われたりもするんですけど、そうでは全然なくて。それはそれで編集長が別にいて、僕はその小さな書籍部門で毎月本を出すという——後にそれは続けられなくなるのですが——そこで編集長をしていたという感じです。

やっぱり働き方などがガラッと変わったという感じなんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

いや、もう180度と言っていいのか、こんなに変わるかというぐらい変わったと思いますね。

書籍の中でも、例えば使われる単語が違って何を言っているのか分からないとか、まったく異世界のような感じだったんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

異世界でしたね。出版社はオールドメディアと言われがちですし、事実、まだ書店さんとのやり取りはファックスですし、「スピード命」という感じではないんですよ。1冊の本に4年5年かかることもあるわけで。
ただ前提として、全ての話においてお伝えしたいのは、前職のNewsPicksはすごく働きやすい環境だったということです。自分でアクセルを吹かして崖から落ちてしまった感じなんですよね。

井上さん
井上さん

そうお伝えした上で申し上げると、やっぱりベンチャーだったので。メディアもあれば、SaaS※2と言われるソフトウェア——僕もちょっとまだよく分かってないんですけど——を開発するエンジニアの文化もあったりして。とにかく早く出して、スピードでカバーして改善していく、それがもう社風なので、全然カルチャーが違いましたね。

※2 SaaS:ソフトウェアをインターネット経由でサービスとして提供する形態。Software as a Service の略。

確かに。スピード感も何もかもが違う中で、いろんなところから移ってこられる人がいるわけですよね、NewsPicksには。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。

同じような環境から来た人はいなかったんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

いなかったんですよね。出版社から来ましたというのは、先ほどおっしゃったようにビジネスの単語もまったく知らないし、「KPI※3って何ですか?」みたいな、そういう世界からそこに来るということで。
周りの人たちはみんなすごく優秀に見えたし、実際に優秀だったんですよ。分かりやすく言うと「マッキンゼーから来ました」とか、コンサルとか、バリバリの、名前を聞くだけでビビるような企業から来ましたという人ばかりで。中途だからみんな同期で横に並ぶと「すげえ」、「俺だけこの話が全然分かってない」というところで、すごく背伸びしちゃったんですよね。

※3 KPI:目標の達成度をはかるための中間指標。Key Performance Indicator の略。

それもやっぱり聞けなかった、言えなかったということですかね。

松浦
松浦

「全部やらなきゃ」という重圧

井上さん
井上さん

まあ、もうバレちゃってるんですけれど、でもやっていかないといけない。4人の小さなチームで始まったんですよ。本を作るのは、本を作る人だけではなく売る人が必要で、倉庫とやり取りするオペレーションの部分も必要で。
その4人ぐらいのチームで始まって、その中で、引っ張られてきたという経緯上、僕がリーダーだったんです。

そうなんですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

厳密に言うと、編集長と事業の責任を持つ人は出版社の中だと分かれているんですけど、僕の場合は4人のチームの中で「井上君が編集長だよね、同時にチームリーダーだよね、だからビジネスの方も井上君が見るんだよね」となったので。
急に、慣れないExcelで予算の数字を出したりということが全部乗っかってきて。もちろんチームのメンバーと分担してはやっていたんですけど、自分としては「全部やらなきゃ」というプレッシャーがありましたね。

そうなると、本を作るだけではなくて、数字も作る。両方の責任を持つという感じですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうなんですよね。本を作る方は、クリエイティブ、というと言葉がやらしいんですけど、頭の使い方が全然違うんですよ。答えのないものに対して「どうやったらいい本になるか」と考える頭と、とにかくスピーディーに段取り良く仕事をさばいて意思決定していくビジネスの頭が2つ必要で。その2つの頭を、なかなかうまく切り替えられなかったですね。

そういう同じような取り組みをしている人は、井上さんしかいなかったんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ああ、いや、そういうわけでもないですし、実際にコンテンツを見ながらビジネスも見ている人は、少ないながら社内にもいたんです。ただ僕は、その人たちに対して圧倒的に経験値不足だったというか、一言で言うと本作りのことしか知らない人だったので。

知らないことを聞くのも難しい状況だったんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

いや、めっちゃ聞きましたよ。恥ずかしくて背伸びしちゃった、バレないようにという側面もありますけど、もうそんなことは言っていられないので、「さっきの会議のこれが全く分からなかったんだけど」といろいろ聞くんです。
でも、聞いても聞いてもキャッチアップできないぐらいの差があって。それでも本を出さないといけないから走り続けなきゃいけない。しかもその時期はちょうど子どもができたタイミングでライフスタイルも大きく変わったところだったので、保育園にも行かなきゃいけないという状況でした。

そうなんですね。私も似たような経験がありましたね。

全然小さな規模の話ですけど、今小学4年生の子どもがいて、生まれた時に私は資格の勉強もしていて、それこそ社内で新規事業もやろうとしていて、というのが重なったんです。
そうしたら5年ぶりに希死念慮※4が出て。それまでは受診を止めていたんですよね。落ち着いたと思って止めていたんですけど、再度受診して、ということがあったので。そういうものが重なるというお話は、すごく自分に重ねて聞いてしまう部分がありましたね。

松浦
松浦

※4 希死念慮:「死にたい」という思いが頭から離れない状態を指す精神医学の用語。

井上さん
井上さん

そうだったんですね。
私も、環境的にリラックスしながら自分らしく働く、みたいなことが許されない時期というのは、今振り返ってもあったなと思います。

オーバーワークで休職&発症

そこからもう、発症に至るということになるんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

チームメンバーはもちろん支えてくれましたし、なんとか創刊もできて、そこから1年半から2年ぐらいはひたすら走り続けることができましたね。

では、毎月出し続けたということですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

毎月出すというのは、1つのサービスの中で「毎月出しますよ」という約束をしていたんですけど、いろんな事情があってそのサービス自体がなくなったので、半年か1年ぐらいで何とか終われたんです。

ただ、やっぱりオーバーワークで。オーバーワークと言っても、よくある過労死のような残業が長いというよりは、残業できたらむしろもう少し楽だったんですけど。子育ても重なって残業できないとなってくる中でのオーバーワークでした。タイミング的にコロナもあって、2、3年でちょっと走れなくなったという感じですかね。

具体的に残業できないことで、どういう兼ね合いや葛藤が生まれたのでしょうか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

葛藤というよりは、タスクリストが入社から退社まで一度もなくならなかったんですよね。めちゃくちゃ忙しかったですし。

その時期は、僕が新卒として社会に出た時にはなかったSlackのようなものが出だしたんですよ。
メールだったら5本で終わるけど、Slackは出したら出しただけ返ってきますよね。終わりがないから、ずっとアドレナリンをガンガンにしながらやらないといけない。「あと30分で」みたいな感じで、常に余白が1つもないという状態でしたね。

残業せずに、家でお子さんが寝た後にやったりしていたという感じですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そういう時もありましたね。でも、やっぱり続かないんです。
それでも、たまに母がヘルプに来てくれるような日は「やったー、これで朝5時から始発で会社に行ける」みたいな感じでした。

「やったー」なんですね、それは。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうでしたね。やること自体は楽しかったんですよ。人生の中でそういうチャンスをいただけることはなかなかないですし、メンバーも良かった。仕事をうまくいかせたい、という気持ちもあったので、その時は嫌々というよりは、むしろ積極的にやりすぎたという感じですかね。

ちなみにその時期は、躁や軽躁※5のようなハイな状態というわけでもなかったんですか。

松浦
松浦

※5 軽躁:躁状態よりも程度が軽く、周囲からは気づかれにくい気分の高まりを指す。

井上さん
井上さん

うーん。ご覧になっている皆さんには今更言うまでもないかもしれないんですけれど、双極症は「ここから先が」という具体的なラインが引けないじゃないですか。
その中で、産業医※6の方と話していて今も記憶に残っていることがあります。僕は休職を4回ぐらい繰り返して、だんだん長くなっていくという良くないパターンだったんですけど、本格的にズドーンと落ちた時期に言われたんです。

※6 産業医:企業で働く人の健康管理について、専門的な立場から指導・助言を行う医師。

井上さん
井上さん

「井上君ね、多分ずっとそのアッパーなテンションで働いてきた時は軽躁だったんじゃないかな。そういう人は結構多いんですよ」と。
特に仕事で、さっきのゆっくり働くという選択肢もなく、否が応でも集中せざるを得ない、それに返さざるを得ないという時に、アドレナリンと自分の高揚感でテンションを上げて乗り切ってしまい、後で反動が来るという。
その時はそんな自覚は全くなかったし、躁うつという言葉すら、聞いたことがなくはないけれど自分にとってはすごく遠い言葉だったんですけれど、実際には少し躁気味でずっと働いていたんでしょうね。

なるほど。

松浦
松浦

そんな状況から、正式に発症するまではどんな経過をたどって双極症と診断に至るんですかね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。20代の時に一度精神科を予約したという話をしましたが、それとは別に「これはもうダメだ」というのがあった時のことは覚えていますね。
僕の場合ですけど、呼吸がすごく浅くなるんですよ。胸のつかえが取れないような感じで。
明らかに、相手が言っていることを自分がちゃんと理解できていないなという感覚があって。4時からミーティングだったんですけど、3時50分ぐらいに「あれ、これはダメだ」となって。

井上さん
井上さん

「すみません、ちょっと1時間ずらして5時からにしてください」と言ってベッドに倒れ込んで。そこから、これはもう5時でも無理だとなって、1週間か2週間ぐらい休みをいただいたのが1回目でした。

その時もコロナで在宅だったんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

在宅でしたね。もちろん出社することも挟みつつですけど。
僕の場合は、1回目でちゃんと対処をせず、抜本的な改善をしないまま戻ってしまうんです。1、2週間すると多少なりとも疲れが回復するので戻れてしまう。でも原因は何も解決していないから、またしばらくすると発症してしまう。
「俺がこれを何とかするんだ」という傲慢な気持ちもあったし、「できる」というよく分からない自信もあったので、また1か月ぐらい休んで戻ってしまう。で、次は2か月、最後は10か月という感じでした。

その10か月の時に、双極症の診断が出たんですか。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。診断としてちゃんと降りたのは10か月の時でしたかね。先生もすごく親身な方でいろいろご相談していたんですけど、うつなのか双極症なのかの見極めはすごく難しいので。
多分、最初に休んでいる時は「抑うつ状態」※7のような書かれ方で様子を見て、ズドーンと落ちた時に、これは双極症と診断するのが妥当かな、という感じでしたね。

※7 抑うつ状態:気分の落ち込みや意欲の低下が続いている状態を指す、診断上の表現。

診断を聞いてどうでしたか?ご自身として何か思うことはありましたか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。その瞬間にというよりは、じわじわと、治らない自分や障害の症状と共存する中で思ってきたことがあって。
やっぱり「病気」という言葉は、治るという可能性の響きを持っているんですけど、「障害」と付くとまた違うんですよね。今は双極性障害とは言わないですが、僕が診断を受けた時は昔の呼び名だったんですね。実体験として、自分も3年4年経っても全然良くなっていないなという感じはあるので、これがずっと続くんだなというイメージの重みはありましたね。

オープンにして復職

そうだったんですね。
そこで10か月休まれて、そこから再度、同じ職場に戻られるんですか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。離れるということは全然考えなかったんですよ。最後は結局、退社することになるんですけど、時間軸だけ言ってしまうと、復帰して1年半ぐらいは普通に働けていました。それも周囲のサポートあってですけど。
ただ、久しぶりに1年半ぐらいして休職に入って、復帰する気は満々だったんですが、いろいろあって退社することになりました。

井上さん
井上さん

そこに関しては、自分のやり方が問題だったんですよね。
「俺が何でもやるんだ」と、編集長もやれば、事業も俺が見る。チームリーダーも俺だ。という傲慢さがあったんです。最初に何も根本的に改善せず戻ってしまったのもその部分が原因でしたね。さすがに10か月ドボンと落ちる中でそこにも反省が至りまして、編集長の役割は残ったんですけど、チームリーダーや事業の責任は他のメンバーに任せて、根本的な原因に対応した上で戻るということをしました。

その体制になると、やっぱり違いましたか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

もう全然違いましたね、それは。仕事ももちろん変わりましたけど、気持ちの面の変化も大きかったですね。

覚えていらっしゃる範囲で、以前はすごく大きな責任で、しかも分からないものもあった。それが「編集長のみでいいよ」となったことで、業務が減ったから楽になったという感じなんですかね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。業務が減ったから楽になったというのもありますし、はっきりとは記憶していません。ですが、ハードな環境で高いレベルの水準が求められるところでもあったので、その10か月後のタイミングで「双極症です」とオープンにしました。

井上さん
井上さん

チームメンバーだけではなく、会社全体に対してオープンにしました。会社もその時はD&I※8——今は名前が変わっていると思いますけど——ダイバーシティ・アンド・インクルージョンのようなものに力を入れ出していたタイミングだったので、当事者としてそういう活動に少し関わったりということがしやすい、恵まれた状況だったんですよね。
これが20代の頃の自分だったら、オープンにできたかというと、できなかっただろうなと思うんですが。

※8 D&I:ダイバーシティ・アンド・インクルージョン。多様な人材を受け入れ、それぞれが力を発揮できる環境をつくる企業の取り組み。

ご自身で20代との違いはなんだと思いますか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

シンプルに、僕がオープンにしやすかったのは、何か積極的な理由があったからできたというよりは、「消極的にオープンにすることを妨げる何か」がなかったからできたというふうに今は思っています。

はい。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

1つの理由として、僕は入って3、4年働いていたので「井上さんは編集長だよね」と、社内である程度ポジションがある人だと見られていた、ということがあります。それをオープンにしたからといって、翌日から「井上さんはそれなら使えないからいらない」とは全くならないな、というのは安心感としてありましたね。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

でも、もし自分が転職したばかりか、入社したばかりだったら厳しいと思います。
ただでさえまだここに居場所がないのに、そんなことはとても言えないという気持ちになっていたんじゃないですかね。

なるほど。居場所がある程度確保されているから、言ったとしても取り上げられることはないだろうという、保険的なものがあったから言えたということですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。だから、肩書きの名前ってすごく大きくて、僕はそれに2つの意味で翻弄されてきた気がします。
2社目まで、僕は誰のマネジメントもしたことがない、ただの平社員だったんです。名刺に肩書きが一切付いていない編集者でした。

井上さん
井上さん

そこから編集長になると、やっぱり周りの人もすごくサポートしてくれるし、編集長と名前がついているから会社にもある程度評価をもらえているということにもなる。もし特に肩書きがない状態だったら、オープンにする時の心持ちはまた変わっていたんだろうなとは思います。

なるほど。そこが20代と30代の違いになるのかな、というところですかね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

うん、そうですね。だから僕は人生の流れの中で当然のようにオープンにできました。オープンにすることにためらいはなかったんですけど。
それは今の肩書きの話も、家族の理解も、周りの社風も全部たまたま青信号だったから行けたんです。

そうなんですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

10個20個ある信号のうち、どこか1個でも黄色や赤が灯っていたら、できなかっただろうという感覚ですね。

オープンにするというのはそれぐらいハードルが高いということなんですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

うーん、僕はちょっと僕の人生しか生きていないので想像するしかないですけど、やっぱり高いと思います。

そうなんですね。

松浦
松浦

私自身の体験を話すと、私も条件が揃いすぎていたんです。

そもそもオープンでここのサービスを利用して、そこからスタッフになったんですね。ですので、会社でもオープンですし、世間に対しても「双極症の発信をする」と覚悟した部分がありました。

一度オープンにすると、もう引き戻せない部分でもあるので、安易に障害をオープンにすることは人には勧めないですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですよね。

井上さん
井上さん

実務的なところで言うと、「そういうハンディキャップがあるんだね」と、多分ひどい扱いを受けるような時代ではないと思うんですよ。

ただ、もっと優しい残酷さがあるなという気がしていて。重要なプロジェクトから外れるとか、それこそ構造としては出産した後のお母さんにも近いのかもしれませんけど、成長することへの期待から外れていくんじゃないかという怖さが、オープンにすることを留まらせますよね。

確かにそうですね。

松浦
松浦

双極症との付き合い方

ありがとうございます。では、前半最後の項目です。
実際に診断を受けて、10か月休んで戻って、オープンにされたというお話もありましたけれども、今日に至るまでで、井上さんご自身が双極症との付き合い方で工夫していることや、捉え方が変わったことがあれば教えていただきたいです。このメディアが「双極症で働くヒントが見つかる」というところでもありますので。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

働き方みたいなところで言うと、具体的な部分は症状が多様だから参考にならないかもなと思うんですね。
例えば僕は、25分働いたら5分横になって寝るという働き方を守っていたりするんですが、それは僕にだけ特有の対処法であって。

井上さん
井上さん

一番共通しているのは、やっぱりメンタルが落ちてしまった時のことですね。僕は、誰から見ても躁という状態があまりないタイプの双極で、うつ側が多いんです。

うつ側の気分で言うと、なってしまった時に、もう惨めでしょうがないんですよね。「働けない」「やりたいこともやることもあるのに、ごめんなさい、また働けないです」という。その気持ちにどう折り合いをつけるか、なんです。

井上さん
井上さん

やっぱり最初は、それこそ課題解決をしようとして、ああすればいい、こうすればいい、と思うんですけど、やればやるほど……。うつはやっぱり時間が必要な症状なので、何もしないというのが最善策じゃないですか。それができない。
でも、コントロールできない自分を責めることだけはしないというふうに決めていましたね。

井上さん
井上さん

今日はこうやって話していますけど、自分がいつもみたいに動けず、全く話せない、人と話すなんてとんでもない、想像もつかないという時も結構あります。それだけで精神的にきついなって感じますね。

さらに、その自分をボコボコ殴ろうとしちゃうんですよね。なんやかんや言って「お前はずっとそれと付き合っていくんだな」とか「いつもみたいに働けてねえな、お前」みたいなことを、自分が自分に言いそうになるんですけど。自分が自分に言いそうになる、その声は聞かない。そこは1つ、心持ちとして持っておくことに決めました。

井上さん
井上さん

ただ、それってアドバイスとしてはすごく雑で。「聞かないってできないから困ってるんだろう」と、皆さんも思うと思うんです。

言う方もいらっしゃいますね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

多分その手前には、自分は何でもコントロールできるという感覚があるんですよね。例えば努力したら、スポーツだったら筋トレをすればちょっと重いものを持てるようになる、やると成果が出るという。
多くの仕事において熟達は多少なりともするので、「頑張る→いい結果が出る」という因果関係の中から抜け出せないんですよね。だから、うつになっても何かやればうつの症状が良くなるという「改善思考」で行っちゃう。

はい。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

でもこの「改善思考」って、やっぱり自分にはどうにもならないもの——うつなんかその代表格ですけど——それを何とかしよう、コントロールしようという傲慢な試みなんですよね。

井上さん
井上さん

「自分はそういうすごく傲慢な視点で世の中を見ていたんだ」「結果が出ていない人を見たら、あの人は努力してなかったんだな、という目で見ていたんだ」と。「頑張る→いい結果が出る」という、ストレートでシンプルな、そして荒く傲慢な物語で全てを見ていたんだな、という反省を1個踏まえた上での話なんです。

井上さん
井上さん

自分が昨日まで元気だったのに、今日は人と喋る気がしないとなった時に、それを「イレギュラーなやつだ」とか「なんでお前はそんなこともできないんだ」と言うのは前の俺だ、と。頑張ればいい結果が出るという、自分の中で一番根本的に良くなかった部分を繰り返しているな、と1回言い聞かせる。そうすることで、その惨めな気分でもやっていけるようになるんです。

なるほど。すごく分かるというか、染みるというか。

松浦
松浦

この本の中でも「おのずから」と「みずから」のお話がありましたよね。自分から、の「みずから」なのか、自分ではどうにもならない「おのずから」なのか。日本とアメリカの対比のような外的なところも書かれていて、それを言語化されているのがすごいなと思っていて。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ありましたね。

私も本当に、経験上どうしようもないところがあって。最短距離で結果を出そうと生きてきたので、それがままならなくなって、最近はいい意味で諦めをしているんですよね。
諦めるというのは別に悪いことじゃないし、むしろいい意味で「淡々とやっていこう」という感じで思っているんですけど。いろんな表現でそこを腑に落とさせていただけて、ありがたかったなと思い出しました。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ありがとうございます。

ビジネスの世界って、基本的に結果をコントロールするという世界観じゃないですか。何とかする、の「する」の世界なんですよね。
でも人間というか動物とか世界って、実際は「なる」で、成り行きみたいなものである程度動いていて。うつに「なってしまった」ものに対して、ビジネスの論理は「どうにかしてこい」と言うんだけど、やっぱり体の論理、心の論理はどうにもならないという。そこのギャップがすごくあったんですよね。

井上さん
井上さん

あと、その対処法についてなんですが、
心理的な面で言うと、もう1つだけいいですか?

もちろんです。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

やっぱり比べちゃうんですよ。「比べるな、比べるな」と人は言うんですけど、でも比べてしまうのが人間の動物としての特性だと思うんです。

社会をつくって集団の中で生きるという中で、人と比べるというのは、トマトを見て赤いなと思うのと同じぐらい当たり前のことなんですね。「私はあまり比べない」という人はいるけど、基本的に人と比べることは止めることができない。

井上さん
井上さん

だから「今は私は働けていないのに、周りの人は働けている」とか「過去の自分は働けていたのに、今の私は何て様だ」とか、そういうふうに見てしまうことは、もうやめられないんですね。
その時に、僕はまだ答えが出ていないんですけど、最近すごく「誇り」という言葉について考えていて。誇りを持つということが、答えだけ先に頭に浮かんだみたいな感じなんですけど。

井上慎平さんの著書『弱さ考』

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