双極症と付き合いながら働く。プレッシャーから自分を解放する「弱さ考」とは?(井上慎平)

公開日: 2026.8.24

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▼この記事の対談動画はこちらからご覧頂けます。
https://www.youtube.com/watch?v=KOLcD04bZ2Y

この記事の要約

  • 比べてしまうことは止められない。井上慎平さんは、その比較から生まれる「惨めさ」に対抗するものとして「誇り」という言葉を持ち続けてきた。
  • 誇りは何かを成し遂げて得るものではなく、誰にも分からない苦しみを抱えて「それでも今日を生きた」という事実に宿る。絶望の深さは、そのまま誇りの深さでもある。
  • 「弱さ」も「能力」も個人の中にあるのではなく、社会や環境との相互作用で決まっていく。だからこそ一度そのルールから距離を取り(シラける)、「ただ生きる」ではなぜ足りないのかを問い直すことが、働き続けるための足場になる。

比べてしまう自分と「誇り」

井上さん
井上さん

あとその対処法の心理的な面で言うと、もう1つだけいいですか。

もちろんです。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

人はどうしても比べてしまうんですよ。「比べるな」と言う人もいますが、比べてしまうのは人間の、動物としての特性だと思います。

社会を作って集団の中で生きていく以上、人と比べるのは、トマトを見て「赤いな」と思うのと同じくらい当たり前のことなんですよね。

井上さん
井上さん

もちろん、人によって差はあります。「自分は比べやすい」という方もいれば、「あまり比べない」という方もいます。それでも、人と比べること自体を止めることはできないのだと思います。

だから「今の自分は働けていないのに、周りの人は働けている」「過去の自分は働けていたのに、今の自分は何て様だ」と見てしまうことは、もうやめられないんです。

はい。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そんなときにどうすればいいのか。僕にもまだ答えは出ていません。ただ最近は「誇り」という言葉について考えていて、答えだけが先に頭に浮かんだような感覚があります。

井上さん
井上さん

例えば、誇りを持って何かをやるというのは、これみよがしに人に見せることではありません。自分の中で、自分にルールを決めることです。

他の選択肢も選べるけれど、自分はこう生きるんだと決める。その自分との約束を守ることが誇りなのではないかと思うんですよね。

はい。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

皆さんがどう感じるかは分かりませんが、僕は自分の症状からくる「惨めさ」を強く感じることがあります。そして、その惨めさに対抗(カウンター)するものとして、自分の中に「誇り」を持つようにしています。

井上さん
井上さん

どうしても人と比べてしまう自分だけれど、比べるまでもなく、自分の頑張りは自分だけが知っている。そんな自分に対する誇りを、どうすれば持つことができるのか。

一つは、自分との約束を守ることだと思います。誇りという概念は、人との比較から少し距離を置かせてくれるんです。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

どう誇りを持つかについては、一人一人に答えがあると思います。だから僕の答えが、皆さんの役に立つとは限りません。

それでも「誇り」という言葉でもう一つ大事なのは、困難がやってこない限り、誇りは生まれないということだと思うんです。

井上さん
井上さん

僕には「この世界は理不尽で残酷だ」という前提の価値観があります。障害もその一つですが、それは誰にとっても同じなのではないかと思うんです。

「家族をはじめ、いろいろな面で、望んでも選んでもいないのに、なぜ自分はこうなんだろう」と思うことは、誰にでもありますよね。

はい。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そういう意味で、世界は理不尽で残酷だし、常に何かしらの困難を突きつけてきます。けれど私は、ただの被害者で終わるのではなく、「それでも自分はこう生きるんだ」と胸を張り続けたいのです。

この困難の中でも自分はこう生きると決めた。それを僕は「誇り」という言葉で表現したいんです。

井上さん
井上さん

誇りは、困難の中にいるときこそ必要なものです。けれど逆説的に言えば、誇りなんて意識しなくてよくなる日こそが、その人にとって一番の幸せなのかもしれません。

僕は困難の中にいるとき、その誇りにすがって、惨めさとのバランスをとって生きてきたという印象があります。

なるほど。すぐには咀嚼できない自分がいるのですが…。

ただ、私自身こうして振り返ってみると、「誇り」や他人との比較を、最近はあまり意識しなくなったと感じています。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうなんですね。

昔はすごく人と比べてばかりいました。でも今の自分にとっての「誇り」を考えるなら、自分の生き方や存在そのものが、そのまま仕事になっているという感覚なんです。

例えば、自分の病気や働き方を発信することで、誰かの役に立ったと言ってもらえたり。そういう方が集まる状態になったので、井上さんのような方にお話を聞いて、それがコンテンツになる、という流れですね。

松浦
松浦

私自身も井上さんのお話を聞きたいし、聞いて勉強にもなる。誰かと比較するというよりは、自分の探求心をもとに行動した結果、それが仕事になったという感覚で、すごくラッキーだなと思っています。

そういう意味で自分に誇りがあるとすれば、「この取り組みに対して、自分は覚悟を持って向き合っている」ということかもしれません。お話を聞きながら、ふとそんなことを考えていました。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ありがとうございます。僕自身も考えながらお話ししているので、最初の説明は少しズレていたなと振り返っていました。「自分との約束を守る」という言い方は、少し大げさ過ぎた気がしています。

「今日も生きた」ということ自体が誇りになる

井上さん
井上さん

本当は、もっとキツいときのための言葉なんです。どうしようもなくて、うつでベッドから起き上がれず、トイレに行くのすら面倒くさい。まさに踏んだり蹴ったりという状態ですね。

その上、仕事もあれば家庭の問題も起きて、「なんで自分だけこんなに」と理不尽の谷底にいるようなとき。それでも「ああ、それでも自分は今日生きていたんだよな」と思える。「生きられたよな」ということだけで、もう誇りだと僕は思っています。

そうなんですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

その谷の底にいることの辛さは、全員が分かるわけではないじゃないですか。僕は松浦さんの辛さが分からないし、松浦さんも僕の辛さを本当の意味では分からない。

だからこそ、あなたの辛さは、あなたにしか分からないんですよと伝えたいです。

井上さん
井上さん

「なんで自分だけこんな目に遭うんだ」「絶対に自分だけ理不尽の量が多すぎるだろう」と感じてしまうとき、その押し寄せる受難に対して、「誇り」をもって応える。

はい。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そこには何の条件もありません。「生きている」ということ。そして「その苦しさを他の誰も知らなくても、あなただけは知っている」ということ。その事実を自分自身でしっかり見つめてあげる姿勢を、僕は「誇り」という言葉で表現したかったのかもしれません。

もっと深く大変な状況、その受難の中での誇りということですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

苦難や試練に直面してこそ、人は誇りを持つことができるのだと思います。受難がなければ、誇りは生まれませんから。そう思って、私はなんとか生き抜いてきました。

井上さん
井上さん

「誇り」について、もう少しだけ補足してもいいですか。

お願いします。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

結局「誇り」という言葉で何を言いたかったのか、僕もこうして対話しながら分かってきました。

人はどうしても周りと自分を比べてしまいますよね。そのとき僕自身が感じたのは、「自分だけが深い谷の底に突き落とされ、惨めな場所にいる」という感覚でした。

井上さん
井上さん

でも社会は、僕がどれほどしんどい思いをしているかに関係なく、何事もなかったかのように回り続けていきます。

自分一人だけが底へズドーンと沈み込んでいて、「この苦しみは誰にも分かってもらえない」という絶望と孤独に、自分自身が食い尽くされそうになる瞬間があるんです。

はい。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

けれど、「誰にも分かってもらえないしんどさを抱えて、それでも今日も生きたんだ」と自分を肯定することなら、唯一できます。

そう考えると、「どうせ誰にも理解されない」と自分を完全な被害者にして、世界を恨み続けるという選択(ポジション)を取ることもできます。

井上さん
井上さん

でも、恨み続けても良いことはあまりないと思うんです。「圧倒的な理不尽を背負わされている」と感じるときだからこそ、この理不尽の中でしか生まれない誇りがあると思いたい。

誰にも分からない苦しみを抱えて生きたという誇りを持てるのは、世界で自分だけです。かつての健康だった自分にすら持てなかった感覚を、今の自分は手にしている。そうやって自分を肯定する道もあるのではないかと思うんです。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

簡単な肯定や気休めは、僕はあまり好きではありません。それでも、本当に苦しいときに「この状況をどうやり過ごすんだ」となったとき、そういう言葉が自分の中で必要になった。そういう経緯です。

うんうん。表現が難しいのですが、苦しんでいる自分が、その苦しさを抱えながらも一日を終えて「今日も生きた」「生ききった」と言えること自体は、決して何もしていないわけではないと思います。しんどい時間をずっと耐え抜いて過ごしてきたという事実があるんですよね。

松浦
松浦

その苦しさを乗り越えて一日を終えた自分に対して、「よくやったね」と声をかけてあげることには意味があるのだと思います。私自身も過去を振り返ると、あの頃の自分にはそう言ってあげたかったと感じます。

もちろん、それだけですべての苦しみが消えるとは思いません。それでも、もし当時の自分にそんな言葉をかけられていたら、心は少しだけ軽くなっていたのかもしれない。そんなことを想像しながら、お話を伺っていました。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ありがとうございます。

井上さん
井上さん

でもやっぱり、「自分との約束を守る」という言い方は訂正したいな、と改めて思いますね。何かをしないと得られないとなると、何もできていない自分には絶望しか残らないじゃないですか。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

でも、現代社会で「何もできていない」「何もできない」という辛い絶望を抱えながら、それでも生きてきたのであれば、その経験には自然と誇りが伴っているのだと思います。

誇りは、自ら何かを成し遂げることでしか得られないものではありません。自分では選べない理不尽を背負いながら生きることで、自ずから生まれてくるものなのだと思います。

すごい。

松浦
松浦

『弱さ考』は「強がり考」だった

何度もこの書籍のお話をさせていただいていますが、井上さんの本だからこそ、多くの方にご紹介したいと思っています。

この本を読んでいて特に印象的だったのは、井上さんがご自身と何度も対話を重ねながら書かれているように感じたことです。一つの物事に対しても「こう見ることもできるけれど、別の見方もあるよね」と、さまざまな角度から問い直している。また、多くの偉人や著者との対話を通して、それらを井上さん自身の言葉で丁寧に表現されているようにも感じました。

松浦
松浦

井上慎平『弱さ考 強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の弱さ考』(ダイヤモンド社)

井上さん
井上さん

ありがとうございます。

だからこそ、私自身もこの本を読みながら、改めて井上さんと対話してみたいと思うことがいくつもありました。

双極症の当事者として働いていると、価値観や考え方は人それぞれ違うと思います。その中で、井上さんはどのようにお考えなのか伺いたいです。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。まず、どういった点でしょうか。

まず、「ビジネスパーソンとしての強さ・弱さ」という点についてお聞きしたいです。

『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の弱さ考』はタイトルにもなっていますね。私の中では、やっぱりバリバリ結果を出している人が強くて、そうなれない人が弱いという認識でした。むしろ、それくらいの解像度でしか考えたことがなかったんです。

松浦
松浦

この本では「弱さ」という言葉がタイトルにもなっていますよね。それだけ井上さんにとって大切なテーマなのだと思いますが、井上さんご自身は「弱さ」をどのようなものだと考えていらっしゃいますか。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ありがとうございます。私は「弱さ」を個人の問題としてではなく、社会がつくり出しているものとして捉えています。それで、これをビジネス書として書くことが大事だと思ったんですよね。

そうなんですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

もう少し前提からお話しすると、当時の私は「自分は弱くなってしまった」と感じていました。それでも、いつかは復職したいという思いは持ち続けていました。

そんな中で、ケアについて書かれた本をたくさん読みましたし、実際にその本に救われた部分もあります。血が出ているときには、まず止血をしなければならない。それと同じように、傷ついている今の自分を守ってくれるケアの本には、とても大きな意味があると思っています。

井上さん
井上さん

ただ、ビジネスの世界は、ケアの論理とはまったく違うルールで動いています。そこに、ケアによって支えられていた自分が戻っていくとなったとき、「強さ」が求められる世界との間を埋めるものが必要なのではないかと思いました。その思いが、『弱さ考』を書く一つのきっかけになったのだと思います。

はい。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

その中で僕が定義しているのは、「ある意味では、みんな弱さを持っている」ということです。

僕が本の中で扱っている「弱さ」は、単に能力がないことや、できないことを指しているわけではありません。社会の中には「こういう場面ではこう振る舞うべき」という暗黙のルールがあります。

井上さん
井上さん

例えば会議でプレゼンをするときは、自信なさそうに話すのではなく、「必ず達成できます」「今回うまくいかなくても、次は大丈夫です」と堂々と振る舞うことが求められる。逆に、目標を達成できなかったことで感情を抑えられず泣いてしまうと、ビジネスパーソンとしてふさわしくないと見られてしまう。

つまり、「ここまでは許される」という振る舞いの範囲に自分を収められることが、一般的には「強さ」と呼ばれているのだと思います。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

でも、人間は誰でも凸凹した存在です。どこかの部分では、必ず弱さを抱えています。

僕自身も、ビジネスについて何でも知っているかのように振る舞い、「自分にはできます」と見せていた時期がありました。でも振り返ってみると、それは本当の強さではなく、「会社の一員としてこれくらいはできるべきだ」という枠の中に、必死に自分を合わせようとしていた行為でした。いわば、強がりでした。

井上さん
井上さん

『弱さ考』というタイトルで書いたけれど、今振り返ると「強がり考」と言ったほうが近かったのかもしれません。だからそういう意味では、「弱さ」は誰にでもあるものだと思っています。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

実際に、『弱さ考』への反響で特に大きかったのは女性からの声でした。

ここを深く掘り下げると長くなってしまうのですが、一つ言えるのは、男性はこれまで比較的「強さ」や「競争」といったマッチョな価値観の中で生きてきた面があるということです。そして、男性として評価されることと、ビジネスの世界で成果を出して評価されることは、ある意味で近い部分がありました。

井上さん
井上さん

一方で女性の場合は、社会の中で「女性らしさ」や「こう振る舞うべき」という期待が、今もなお残っている部分があります。そのため、社会や家庭で求められてきた振る舞いと、会社という組織で求められる振る舞いとの間に、ずれが生まれることがあります。

つまり、本来求められてきたものとは異なる振る舞いを、会社員として急に求められる。「求められる枠に自分を合わせなければならない」というプレッシャーは、女性のほうが強く感じる場面もあるのではないかと思います。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうした、社会の中で期待される役割と、自分自身との間に生まれる葛藤も、僕が考える「弱さ」の一つなのだと思います。

最初にお話しされていたケアの本とビジネス書という観点で考えると、私がこれまで関わってきたものは、どちらかというと「ケア寄りのビジネス」という位置づけだったと思います。つまり、働くためにどう準備をするか、どう自分を整えていくかという視点です。

一方で『弱さ考』は、より直接的にビジネスの世界の中に入り込みながら、「弱さ」や「メンタル」について扱っている本だと感じました。

松浦
松浦

私自身、この本を読んで驚いたのは、「ビジネス書の中に、こういうテーマの本があっていいんだ」と思えたことです。これまで多くの人が心のどこかで感じていたことを、ビジネスの文脈の中で、ここまで正面からメンタルや弱さについて語っていいんだ、という発見がありました。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ありがとうございます。

特に、「弱さ」という言葉を真正面から掲げていることが印象的でした。

一般的なビジネス書は、スキルを高めることや、自分の能力を伸ばすことを目的に読むものが多いと思います。井上さんも触れられていたように、「強くなるため」の本が多い中で、「弱さについて考える」というのは、これまでとは逆の方向性を持ったテーマだと感じます。だからこそ、そのテーマにあえてビジネスの世界の中から向き合ったことに、大きな意味があるのだと思いました。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

こうやって考えないと、これまで生きてこられなかった、というところはありました。

「能力」は個人の中にあるのか

すごいですね。この中でも、井上さんのYouTubeなどを色々見させていただいた中で、特に「能力」についてのお話が印象的でした。

松浦
松浦

私自身、「能力」という言葉を使うときは、単純に自分が持っているスキルや資質のことを指してしまいます。例えば、コミュニケーション能力がある、仕事を進める力がある、といった意味です。

でも井上さんは、能力についてまったく違う視点から触れられていたように感じました。改めて、井上さんは「能力」をどのように考えていらっしゃるのかお伺いしたいです。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ありがとうございます。「能力」という言葉自体が、すごく人を追い詰めるところがあると思うんです。端的に、社会人として「無能」と言われてしまったら、もうあらゆることがおしまいのような感じがするじゃないですか。

僕自身、うつのときは「自分はすごく無能だ」と思っていました。では逆に、能力とは何なのかを考えていったんです。

はい。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

コミュニケーション力とか、新規事業を作る力とか、いろいろな言葉で語られますが、そこでは能力が個人の中に入っているものとして扱われています。それをどんどん高めていかねばならないという考え方だと、永遠に終わりはないし、端的に間違っていると思うんですね。

そうなんですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

例えば今日、僕が話したことで画面の前の皆さんに「聞けて良かったな」と思ってもらえたとしたら、後付けで見れば「僕に考える力や話す力があった」と言うことはできます。一般的には、能力とはそういうものだと思われています。

井上さん
井上さん

でもその背景には、このYouTubeという箱を用意してくれた環境があり、これまでの蓄積があり、松浦さんとのこの関係性だからこそ話せること、当事者同士として話せることがあります。あらゆるものがその場その場の相互作用の中で、結果として生まれているんですよね。

そして生まれては消え、生まれては消えていく。それを個人の中にあるものと捉えすぎると、スキルアップマインドから永遠に抜け出せなくなってしまう。そこに対して課題提起がしたかったのだと思います。

なるほど。
能力と関わり、環境、というお話でいくと、私もそうなんです。

いろんな職場を転々としてきて、自分にとってしっくりこない働き方をずっと続けていました。それがやっと今の場所にはまったという感覚になったとき、いろいろな環境や人との関わりがあって力が出るのだと感じました。私以外の方でも、この部署では力が出ないけれど、異動したら急に本領を発揮する、ということを聞きますね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうなんですね。

やっぱりそれは、その人個人というよりは、関わりや巡り合わせがあってなんだなとお話を聞きながら思いました。

松浦
松浦

そうすると、能力と、その人の関心の関係も気になります。

例えば「マーケティングの仕事をやりたい」と思っていても結果が出ないとき、能力と本人の関心は、また別物なのでしょうか。能力は運良くたまたま発現するもので、自分がやりたいかどうかは影響しないのでしょうか。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

つまり、好きと得意は別、みたいなことですかね?

ああ、好きと得意。そうです。
それと能力の関係性について、井上さんはどのように考えていらっしゃいますか?

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ご質問に直接お答えすることになるか分からないのですが…。

僕は「能力」というものについて、思い込みが強くなりすぎているから、「能力こそ自分の価値」というところも含めて一度分解した方がいいと思ったんですよ。

はい。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

さっきの世界の残酷さも、家庭のことも全部そうですが、人生そのものが一つのゲームであって、そこにはルールがある。軽く見える言葉でこう言いたいわけではないのですが、現代社会というのが、すごく特殊な無理ゲーに見えてきたんです。

ただ僕の書き方は、さっきおっしゃっていただいたように「こうだ」と言って「いや、こうじゃないかもしれない」と行ったり来たりする、ままならなさの中にあります。

はい。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

というのは、バラバラに分解するだけでは気休めにしかならない面もあるからです。ビジネスの世界に入れば能力で査定され、評価される。その厳しい現実はあるんですよね。

井上さん
井上さん

ですのでさっきの例で言うと、自分はマーケティングがすごく好きだと言っていても、これまでの体験や経験、特性がマーケティングに向いていなかったら…。

さっき松浦さんは「この場だったら働きやすい」とおっしゃいましたが、同じように職種も一つの場です。松浦さんが使われた「発現」という言葉がとてもいいと思うのですが、マーケティングという場では自分の良さが発現できない。それもまた、残酷さの一つとしてあり得る話かなと思います。

ああ、なるほど。ありがとうございます。

松浦
松浦

自分がどんなゲームをプレイさせられているのか

ちなみに、この本の中で、現代社会に適応するために頑張ることが大変さにも繋がっている、というお話があったと記憶しています。

今の職場で会社員として15年働いている私自身は、井上さんからどう映るのでしょうか。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

「現代社会に適応する」ということを少し補足させてください。

自分が過去しんどかったのは、自分がどんなゲームをプレイさせられているのか。ビジネスとはどういうゲームで、どうプレイすればいいのか、よく分かっていなかったからなんです。だから、がむしゃらに頑張る、頑張ればいつかうまくいく、ということしか思えていませんでした。

そうなんですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

では、ビジネスでプレイするとはどういうことなのか。それを考えたのがあの本です。ビジネスの中で「適応する」とは、ちゃんとプレイできるようになるということなんですよね。

井上さん
井上さん

「どう見えるか」と聞かれて反射的に思ったのは、自分も松浦さんのように働いていたかもしれないな、ということです。それぞれがそれぞれの適応の仕方をしていて、僕がその状況にいたら、そういうプレイをするかもしれないと思いました。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そしてやっぱり無理ゲーだなと。無理ゲーというのは、あまりにも自分で自分の体をギチギチにこわばらせて、なんとか前に進もうとするのが当たり前になりすぎているから、それを解きほぐしたいという意味です。

僕はいつも、このような考え方をしてしまいます。まず、ギチギチにこわばった体を一度外してみる。そして、その上で「それでも現実の中では戦い、適応していかなければならない」と考えています。

井上さん
井上さん

プレイ(人生)の多くは、自分が望んで始まるものではありません。例えば、男性として生まれることも、自分で選んだわけではない。同じように、女性として生まれることも本人の意思によるものではありません。そうした、自分では選べない条件のもとで人生というゲームは始まり、その中で私たちは現実に適応しながら生きていくことになります。

確かにそうですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

この現代社会で、能力主義のような厳しさもありながら、必死に人生、仕事をプレイされている。それ自体が尊いなと思います。

そのうえで、プレイしているゲームの内容をある程度客観的に見ることを心がけています。僕はたまにそれを「シラける」という言い方をするのですが、ちょっと距離を取ってみるんです。

井上さん
井上さん

僕の発症前の状態は、シラけ度ゼロで、まったく距離を取れていませんでした。ビジネスというゲームと自分の価値観が完全に一体化してしまっていたんです。

「自分はどういうゲームをプレイさせられてるんだっけ?」というところに視点を移せば、少し距離が取れる。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

距離を取った上で、「ああ、そういうゲームをさせられているのか。ビジネスというのは成長を求められるのか」と気づく。それ自体はある程度「しょうがないな」と思えるようになったら大丈夫だと思っています。

また、自分が何かを演じていることを、一歩引いた視点から「今、自分は演技をしている」と自覚できているのであれば、それほど危険ではないと思います。
本当に危ういのは、自分では演技をしているつもりがないのに、実際には演技をしてしまっている状態です。つまり、自分が演じていることに気づけなくなってしまったときこそ、危険なのだと思います。

井上さん
井上さん

私は松浦さんのこれまでの人生をすべて知っているわけではありません。ただ、お話を聞いていて感じたのは、今の松浦さんはそのことを十分に理解した上で、自分が演技する舞台を自ら選んでいるのだろう、ということです。

結果的にそうかもしれません。

先ほどの話に戻ると、この本を読むこと自体がシラける行為でもあるわけですよね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そうですね。いったんシラけることは大事です。ただシラけっぱなしだと働けないんですよね。

そうですよね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

一回はシラけておかないと、自分が壊れてしまうと感じています。

井上さんにとって「働く」とは

では結びとして、改めてお聞きします。
井上さんにとって「働く」とは、今どのように捉えていらっしゃいますか。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

やっぱり現代社会自体が、すごく特殊だなと思うんですよね。こんなにも「働く」が、「生きる」という大きな袋の中で、大きな袋として存在した時代はなかったと思うんですよ。

世の中全体がビジネス化しているような気がします。その中で、うつになったら働くというものが突然奪われた。うつを経験したから、僕は惨めになって辛くなりました。

そうだったんですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

今思うのは、「働く」がすごく肥大化してしまった時代に、僕たちは生きているということです。

「いや、ただ生きるでいいじゃんか」とも思います。おじいちゃんやひいおじいちゃんくらいまで遡れば、また違った苦労が絶対にあるのですが、その頃の「働く」は、ここまでその人の存在そのものを決めてしまうかのような言葉ではなかったと思うんですよね。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

僕らはそういう時代に生きていて、それは変えることができない。そういうゲームをプレイさせられてしまっているということです。

だから必然的に、働くこと以外で社会と繋がることが、すごく難しくなっているのは確かだなと思っています。もちろん、例外はもっとたくさんあってほしいのですが。

井上さん
井上さん

僕自身も、社会と繋がるのは「働く」だけじゃないと言うのは簡単です。でも一方で、働くことによって社会と繋がっていたいという欲望みたいなものは、まだ消えないんですよね。

多分この症状を抱えていたら、あまり働かない方がいいのですが、結果的に割と頑張って働いてしまっています。

そうなんですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

その奥底にあるのは、「そうじゃないと社会と繋がれない」という感覚です。決してそんなことはないのだけれど、ほとんどの人にとってはそうなってしまっている世の中である。そういう前提で働きたい。でもそれは、人と繋がりたいという心の叫びみたいなものなんでしょうね。

人と繋がりたい。働きたい。といった思いでしょうか。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

決して、働けていない人が繋がれていないということではありません。ただ、そう感じてしまいやすい世の中に生きていらっしゃる。僕も含めて、それは確かですね。

だから「なんだ、そういうことか。別に働くにこだわらなくても色々あるや」とシラけられることが、まず一番大事なことです。でもどうしても「働く」というテーマが前に出てくる時代だよなとも思います。

ちなみに、働く以外で社会と繋がるというのは、井上さんの場合はどんなことになるんですか。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

やっぱり「働くことでしか社会と繋がれない」という言葉自体に、嘘が含まれていると思うんです。

おじいちゃんおばあちゃんは働けない状態の方も多いですが、社会と繋がれていないのかと言ったらそうではない。当たり前に繋がっているわけですよ。

井上さん
井上さん

生きるって一人ではできないじゃないですか。人との相互作用の中でしか、あらゆる生きるはできない。そういう意味で言うと、生きているだけで繋がってしまうんですよね。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

「自分は今、社会と繋がれていない」と思う瞬間が、特にうつだと来るかもしれません。とは言え、それを見てくれている家族にはどうしても繋がってしまっているんです。
つまり、「社会から繋がれない状態を作ってみろ」と言われても、絶対にできないんですよ

井上さん
井上さん

ただ生きる。本当はそれだけのことで、世の中はできている。と僕は思いますね。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

僕は植物や動物をじっくり観察するようになって、いろいろなことを考えるようになりました。

特に植物は、ただそこに生きています。葉が枯れてしまえば、一見すると死んでしまったようにも見えますが、冬の間は根だけが生き続け、春になるとまた芽を出します。生きているのか、死んでいるのか、その境界さえ曖昧です。

動物も同じです。犬や猫が「働くとは何だろう」「生きる意味とは何だろう」と考えることはありません。それでも、ただ生き、食べ、眠り、命をつないできました。
そうした何気ない営みが、途切れることなく、ずっと続いてきたのだと思います。

井上さん
井上さん

人間だけがすごくややこしく「能力とは」「働くとは」と考えるようになっている。それはもう、動物の中でも人間に生まれて、人間というゲームをプレイしなきゃいけないので仕方がないのですが。

確かにそうですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

最終的には、ただ生きるということを、どれくらい素直に受け入れられるのか。

「いや、ただ生きるだけじゃだめでしょう」という自分の声が、どこから来ているのか。僕は僕なりの考えを世に出しましたが、皆さんの中で「ただ生きる」ではなぜ足りないのかを、それぞれ考えていただけたらいいなと思います。

それぞれ考えて、それぞれのたどり着くものを見つけてもらえたら、というところですね。
ありがとうございます。

松浦
松浦

視聴者の方へメッセージ

では最後にですね。このチャンネルは、双極症と付き合いながら働いている方、もしくは働くのに困っている、働きたいという方々が見てくださっています。

そういう方々に対して、井上さんからメッセージがあればお願いします。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

ここで誇りの話をすればよかったですね。
やっぱり「誇り」という言葉は、僕はすごく大事にしています。

双極症と付き合いながら働きたい。働くことに絶望していることもあれば、働けないことに絶望していることもあって、その苦しみは本当に深いなと思うんですよね。それに対しては、あなたの絶望の深さが、誇りの深さでもあるという、先ほどの話に戻ってきます。

はい。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

もう一つは、熊谷晋一郎さんの言葉です。「自立とは依存先を増やすこと」という名言が有名ですが、続きがあって、「希望とは絶望を分かち合うこと」という言葉がその後に続くんですよ。

僕は、こんなに深く絶望したのは人生で発症後が初めてだったので、すごく染みるなと思いました。それ以前の自分には染みなかったと思うんですけども。

井上さん
井上さん

最初の話に戻りますが、私は、絶望は何によって救われるのかを考えることがあります。
その答えの一つは、自分と同じように厳しい現実や絶望的な状況の中で、それでも今日を生きている人がいるのだと知ることです。その事実に触れると、自分もまた「今日もやっていこう」と思えるようになるのです。

だから、このチャンネルが存在していること自体が、一つの証なのだと思います。
もし今日この瞬間に絶望している人が一人しかいなければ、このチャンネルは成り立たなかったでしょう。実際には、多くの人がそれぞれの絶望を抱えながら生きている。だからこそ、この場が成り立っているのだと思います。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

これはとても主観的な感覚なので、本には書きにくかったのですが、私の中にはずっと一つのイメージがあります。

うつの状態にあるとき、自分だけが海の中へ沈んでいくような感覚です。海面では、みんなが楽しそうに遊んでいます。自分も少し前までは、その輪の中にいたはずなのに、いつの間にか自分だけがゆっくりと沈んでしまう。

水の中から見上げると、海面ではみんなが変わらず楽しそうに過ごしている。でも、自分はそこへ戻ることができず、ただ動けないまま沈んでいる。その感覚に襲われたとき、「ああ、これがうつなんだ」と感じるのです。

井上さん
井上さん

そして、そのときに感じるのは、深海とまではいかなくても、自分が沈んでいる海の底のどこかに、誰かの気配があるということです。そんな感覚を持つようになりました。

例えば、がんが進行し、もう治療の手立てがないと告げられた人かもしれません。あるいは、そこまで深刻な状況ではなくても、自分にしか分からない苦しみを抱えながら生きている人かもしれません。

周囲からは何事もないように見えても、その人の内側には、誰にも見えない苦しみが確かにある。海の底には、そうした人たちが、それぞれの苦しみを抱えながら存在しているように感じるのです。

そうなんですね。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

そこには、自分の苦しみを周囲に見せまいと気丈に振る舞いながら、それでも無力感や敗北感を抱えて生きている人たちがいます。そうした人たちが、光の届かない海の底に、それぞれ静かに存在しているように感じるのです。

自分だけが沈んでいるのだと思っていたのに、ふと周りを見ると、同じように海の底で息をひそめながら生きている人たちの気配がある。いつしか私は、そんな存在を感じ取れるようになりました。
こういう話をすると、急にスピリチュアルなことを言い始めたように聞こえるかもしれません。でも、私が言いたいのは霊的な話ではなく、苦しみを抱えて生きる人同士が、言葉にならないかたちで互いの存在を感じ取ることがある、という感覚なのです。

井上さん
井上さん

その人たちとコミュニケーションは取れないんです。「あなたも辛いですね」と声をかけ合うような関係でもないのです。たとえ出会ったとしても、そんな言葉は交わさないでしょう。
ただ、「この人も苦しんでいるんだな」「自分も苦しい」と、それぞれが静かに感じているだけです。

そして、その人たちは皆、「この苦しみは、誰にも本当の意味では分かってもらえない」ということを、頭ではなく身体で深く知っています。互いに完全には分かり合えないことを理解しているからこそ、安易に慰め合うこともありません。
そんな人たちが、光の届かない海の底には、まだたくさんいるように感じるのです。

なるほど。

松浦
松浦
井上さん
井上さん

海の底にいながらも、それぞれが今日を生きている。双極性障害に限らず、さまざまな苦しみや事情を抱えながら、それでも生き続けている人たちがいるのだと感じるようになりました。

そうした人たちの存在を感じ取る感性が、自分の中に発現したこと。それが、私にとっては人生を通して最も大きな変化だったように思います。

井上さん
井上さん

そうした視点で考えると、熊谷さんの「希望とは絶望を分かち合うことである」という言葉の意味が、少しずつ理解できるようになりました。
熊谷さんは、希望を「状況が良くなること」とは定義していません。そうではなく、絶望を分かち合うことの中に希望を見いだそうとしているのです。
だから私は、その言葉をもう一度、あらためて皆さんにお渡ししたいと思っています。

ありがとうございます。

松浦
松浦

オンライン読書プログラム「問い読」

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