双極性障害と付き合いながら働く方々の仕事や困りごと、働く工夫をコンパクトにまとめてお届けする「はたらく工夫 #ショート 」。
今回は役所で福祉業務に従事されながら、家庭ではお母様の介護も担うみゆきさん。
プロフィール みゆき
・50代女性
・1989年に看護師になり、その後病院や老人保健施設、高校の養護教諭などを経て、2022年4月より役所に勤める
・現在は息子と2人暮らし
・2019年、高校の養護教諭をしていたときに双極性障害と診断され治療開始
役所にて子どもの福祉業務に従事しています。出産前〜18歳までの方とその家族を対象に、子育てについての悩みから、子どもに対する虐待等に対処しています。
働く上で工夫していることは、しんどいときは上司に面談をしてもらったり、睡眠管理を行うことです。
また、お昼は職種の違う人と休憩に入り、食事中は仕事の話をしないことがよい気分転換になっています。
1989年に看護師になり大学病院に勤め、救急室および外科系外来、精神科等を経験しました。その後短大で社会福祉を学び、総合病院と大学病院の透析部に勤めました。
初めて双極性障害の診断を受けたのは、2011年に激務のため大学病院を退職した後です。透析部では夜間の急な呼び出しが多く、退職後も悶々としていました。
しかし、初めて診断を受けたときは、相談した知人の婦人科医から更年期障害と診断され、勧められた漢方薬を飲んでいたらよくなっていきました。
その後は特に問題なく働いていたのですが、2019年に高校の養護教諭になり、この時期に子どもの受験や母のデイサービスの開始が重なり、職場でのストレスもあって躁状態になり、2回目の双極性障害の診断を受けました。
2012年から症状が出始め、母は常識的なことよりも自分のやりたいことを優先するようになりました。
当時は子育てのやり方で衝突することが多く、自分がイライラしているのは分かっても、どうやったら収まるのか分からなかったり、母が言うことを聞かないとイライラしてワーッと喋ってしまうことがありました。
今思えば、これが躁状態の症状だったのかも知れません。
私が2回目の診断を受けたときは、母が深夜から息子の弁当を作り始めてその音に起こされていました。何度やめるように言っても聞かないし、鍋を焦がして火事にするかもと思うと寝られず、睡眠不足でイライラしていました。
母は比較的、夜は穏やかだったので、その時に「自分のやるべきことをお互いやろう。相手にやってあげるときは必要かどうかを聞いてからやろう。」と話しました。
母は「分かりました」と言うものの毎日同じことが続き、ついに私も怒りが爆発し、躁状態になりました。
息子は息子なりの防衛をしており、夜遅くなるまで塾から帰って来ないことが多かったです。私もその方がいいと思い、弁当をたくさん持って行かせていました。
介護は家族や血縁者より第3者に入ってもらう方が感情が入らないし、的確に何をすべきか見えるので、介護のシステムを上手に使うことが大切です。
そのためにも、まず地域包括支援センターに相談に行くことをお勧めします。また、要介護者が入院した場合は、退院時に主治医に相談して下さい。
とにかく家の中でどうにかしようとせずに、SOSを出して早めに信頼できるケアマネージャーにつながることを意識しましょう。
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ライター
1990年生まれ。24歳のときにうつ病を発症し、病院のリワークを経て復職。その後3度の転職を経て執筆活動を開始。