双極性障害と付き合いながら働くために、周囲の支えはとても重要です。
今回は「家族から見た双極性障害」をテーマに、育児のコミックエッセイストで、実のお母様が双極性障害の診断を受けられ、その関わりを書籍にされたまりげさんをお招きして、お話を伺いました。
〈聞き手=松浦秀俊(まつうら・ひでとし)〉
プロフィール まりげ
コミックエッセイスト。1988年生まれ、2016年に京都府へ移住。
築100年の古民家をリノベーションして3兄弟と漁師の夫と暮らしている。
SNS総フォロワー数約27万人。2020年ライブドアブログ新人賞受賞【まりげのまんが。】
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目次
今日はよろしくお願いします。簡単に自己紹介をお願いできますか。
こんにちは、まりげです。現在3人の男の子を育てていて、ライブドアブログなどで子育て日記を公開したりしています。
今回、お母様の双極性障害を取り上げて書籍にするにあたり、何か気をつけたことはありますか?
暗い雰囲気の本にはしたくないというのはありました。
気持ちが弱っているときに重たい内容のものを読むと、気持ちが引っ張られちゃう部分もあると思うので。
「必ず最後に希望があるんだよ」っていう雰囲気を残したいというのと、暗くなり過ぎるところでも少しギャグを挟んでバランスを取るように気を付けてました。
今回は当事者のお母様自身ではなく、ご家族視点で書かれていますが、当事者目線と家族からとではコミックエッセイって何か違うんでしょうか?
最初は母の目線で書こうとしてたんです。
「母はこんな気持ちで人生を終わらせようと思ってしまったし、こんな風に苦しかったんだよ」というのを世の中の人に分かってもらいたい気持ちが強かったんですけど、書籍の編集長に「どこまで行っても自分の気持ちしか書けないから」って言われて「確かに」と。
母の気持ちを私は想像でしか書けないから、自分の目線で書ききろうとまず決めました。最初は病気というテーマに重きを置いてたんですが、担当編集者の方に「意外と特定の病気の本って無関係すぎても当事者すぎても読まれないんですよね」と言われて。
だったらこの病気のことを多くの方に知ってもらうためには、病気や母の苦しさよりも、私の体験したことや思いに主軸を置いた方がいいと思って、そういう書き方をしました。
元々は双極性障害のことを伝えたいと思ったけども、工夫することでより広く伝わるのであればと今の形式になったんですね。
まりげさん自身、お母様が双極性障害と診断されて症状が影響するなど、何かしら困ったことがあったと思うんですが。
励ましても全部ネガティブで打ち返してくるというのが、すごく自分のエネルギーを吸い取られてるような気持ちになって困りました。自分がどんどん暗くなっていくような時期がありましたね。
そのような状況のなかで、お母様への関わり方で何か工夫したことはありますか?
主に父が母を支えて、父のサポートを私がするかたちに変えてうまく行くようになりました。
私が父に「最近のお母さんどう?何か気になる言動ある?」とヒアリングをして、父が「この間、夜中の3時に起きて納屋の掃除を始めて、ちょっと軽躁っぽいかな?」と言ってくれて「じゃあそのことを次に主治医に相談するね」など、すぐに2人で情報共有できたのはよかったです。
以前はどんな関わり方をしていたんですか?
母を救うためには私が頑張らなきゃと背負い込んでました。
母の気分の波が最初のうちは強かったんですけど、その波に一喜一憂して落ち込む母の姿に私も落ち込んだりとかしてたんです。
そこで父のサポートをすることにしたら、母は父に対しては対等に甘えたりとか弱い部分を見せたりもできるし、父は多少母が落ち込んでても励ましてくれる明るさがあったので、それで我が家の場合はうまく行くようになりました。
親子の関係だと、お母様的にまりげさんには甘えづらい部分もあったのかもしれませんね。
それがお母様とお父様という横の関わりになって、お父様をまりげさんがサポートすることで、直接お母様から来るのも少なくなるし、お母様も甘えたり弱音を吐けるようになると。
そうですね。逆に父は病院を頼るとかに対しては、あまり意識が向かない人だったので、医師に症状を伝えるなどの役割を私がするっていう感じで、連携をうまく取れるようになりました。
今のやり方に変えようと思われたきっかけはありますか?
限界が来て、私が潰れちゃったっていうのがきっかけですね。
無自覚のうちにずっと心がこわばっている感じがあって、ある日目まいや感情の起伏が激しくなりました。受診したら抗不安薬を処方されて、それで私がちょっとやばいということに気付き、そこからは1人で背負おうとしないで、周りの人の得意分野を頼ろうと付き合い方を変えました。
やっぱり変えてから全然違いました?
母が変わったと言うよりも、私自身に心の余裕ができました。
この本の後半に出てくる言葉で「まりげさんも3人のお子さんのお母さんなんだから」と、ある人に声を掛けられる部分があるんです。その時は私が母を助けなきゃってなってたけど、私だって自分の子供がいて、その子達だって私が不安定な状態でいたらやっぱり心配になるよなって気付いて。
私が心に余裕ができると、母もだんだん落ち着いていったので、あの時はちょっと悪循環だったと今は思います。
家族の立場で「当事者の方にこうしてもらえると助かる」ということはありますか?
家族からすると、当事者の心の中が見えないのがとにかく不安なんですよね。
特にうちの場合は自殺未遂もあったので、傍から見てると元気そうなんだけど、心の中で何を抱えてるか分からないっていう不安がずっとありました。それが、段々と母も自分の心の状態を少しずつ喋ってくれたり、共有してくれるようになって、むやみに心配しなくてよくなったというのがあります。
なので家族としては落ちている時でもいいから、その状態を口にしてくれるとほっとしますね。
最後に、当事者を支える家族、まりげさんの立場にいる他の方がいらっしゃったとしたら、どんなアドバイスをされますか。
「家族の問題を、家族だけでどうにかしようとしない」ことです。
最初は「家族のことなんだから、自分でどうにかしなきゃ」と思ってたんですけど、病気との付き合いって長期戦で、波があります。私も精神保健福祉士の方に悩みを相談して「当事者ではないけど、家族も結構しんどいですね」と言われて泣いた時とかもあって。
そういう風に家族以外の人を頼るようにしたら心に余裕が出たので、人を頼ることはすごく大事だと感じます。
なるほど。
私の場合は、母が精神科を受診した時に私も一緒について行って、医師に結構質問しました。
それが参考になったってことですかね。
はい。私の母もそうだったんですけど、症状が重いときは医師が言ったこともボーっと聞いているだけで「さっき先生が何て言ってたか分かる?」と聞いても「全然分からなかった」という状態だったので、診察に同席して先生の話を聞いて、後から紙に書いて母に渡していました。
双極性障害という正しい診断が下りたのも、母自身の口から出た症状ではなく「付き添いの私達の目から見てこういう症状がある」という軽躁のエピソードが家族から出たからだったので、特に初診の時は家族が付き添うことが大事だなと思います。
それは当事者のためでもあるし、家族のためでもあるということですか?
ついて行ってあげることが「あなたの病気をちゃんと家族で治していこうと思ってますよ」という意思表示にもなるので、当事者も少し安心してくれるのかなと思います。
最後に、まりげさんから何か皆さんにお伝えしたいことはありますか?
新刊「700日間の絶望トンネル」が発売されました。Twitterやnoteなどで「まりげ」と調べていただいたら試し読みもできますので、ぜひ読んでみてください。
『ちょっとのコツでうまくいく! 躁うつの波と付き合いながら働く方法』
を2024年9月27日(金)に発売します。
双極症での働き方に悩む方へのヒントが詰まった一冊です。ぜひお手にとってご覧ください。
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ライター
1990年生まれ。24歳のときにうつ病を発症し、病院のリワークを経て復職。その後3度の転職を経て執筆活動を開始。