双極性障害と診断されてから転職を3回経験し、現在は障害者雇用枠の事務職として仕事をするオズさん(仮名)。以前は無理をしては体調を崩し、休職や退職を余儀なくされていましたが、今では体調最優先の働き方を叶えています。オズさんが取り組んでいる工夫とは?
〈聞き手=松浦秀俊(まつうら・ひでとし)〉
プロフィール オズ
40代男性/生命保険会社の特例子会社で、書類の電子化業務を担当
新卒で印刷会社の営業職を経験。転職し、総合病院の事務職として13年間勤務。主に患者の統計業務に携わる。病院事務職の1年目にうつ病と診断され、翌年には双極性障害に診断が変わる。3社目はアパレル会社で販売職(クローズ就労)。4社目は就労移行支援施設※1を利用し、特例子会社で障害者雇用の正社員として週5日、9時~17時の勤務。※1…一般企業などへの就職を目指す障害のある人が利用できる、通所型の福祉サービス。働くために必要な知識やスキルを身に着けるのに必要なサポートを受けられる
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オズさんは現職から障害者雇用で働いていますよね。なぜ今の雇用形態を選択したのでしょうか?
発症してから十数年はクローズで働いていたのですが、仕事が忙しくなったりして追い込まれるたび、希死念慮が強く出てしまって。
「今の働き方は体の限界を超えている。体からのSOSに従おう」と思い、体力に無理のない範囲で働ける障害者雇用を選びました。
なるほど。今はどんな仕事をされていますか?
親会社が特殊なフィルムに残しているデータを、専用のスキャナーで電子化する仕事をしています。
途中からは、部署のマニュアルや月間業務報告書などの資料作成も担当するようになりました。
担当業務の幅が広がったのは、どのような経緯で?
1つのことだけを続けるのが苦手な特性があるので、定着支援※2の支援員さんと相談したうえで「業務の幅を拡げてほしい」と上司にお願いしました。
前職で培ったエクセルやパワーポイントのスキルを活かせる業務を切り出してもらえたことで、仕事のモチベーションを維持しやすくなっています。
※2…障害のある人が長く働き続けられるよう、就労・生活の課題解決に向けてサポートする福祉サービス
オズさんが双極性障害と診断されたきっかけはなんでしょうか?
16年前に初めてうつの症状が出て入院したのですが、その頃はうつ病と診断されたんです。その後しばらくは落ち着いていたのですが、翌年にまたうつ病で入院して。
退院後、急に強い躁状態が表れて、診断名が双極性障害に変わりました。
その時の躁状態は、具体的にどんな感じでした?
当時の職場の福利厚生制度を変えたいと思い、担当でもないのに細かい資料を作って、直属の上司を飛び越えて事務部長に提案したりしていました。
今振り返ればとんでもない越権行為ですが、気分が高揚していて自覚できていませんでした。
職場の方も驚いたでしょうね。プライベートでの行動にも何か変化はありましたか?
何年も連絡をしていなかった知り合いに次から次へと連絡を取り、会う約束をしたり、あまり飲めないお酒を飲んだりと、いつもの自分らしくない衝動的な行動を取っていました。
一方で、常にイライラして親に八つ当たりをしたり…。
そうした話を主治医が親から聞き取り、双極性障害の診断が下りました。
そうだったんですね。診断後、働き方や生活は変わりましたか?
診断が出てから6〜7年は、2〜3ヶ月ごとに躁とうつの大きな波がありました。特にうつの波が抑えられず、うつの期間は体力が6割程しかなかったので、病欠を繰り返しながら働いてました。
病気と本当に向き合えるようになったのは、就労移行支援施設に通い始めてからです。自分のことを分析して整理し、薬以外の対処法を考える良い機会になりました。
今は病気とうまく付き合いながら働けているのでしょうか?
そうですね。「季節の変わり目は体調が落ちやすい」といった体調の波をつかむことで、調子を崩す前に早めに相談する、時には無理をせず休むといった対処ができるようになりました。
どんな方法で体調を把握しているのでしょうか?
「リズムケア」というスマホアプリを使って、気分や睡眠時間、中途覚醒、食欲、お通じ、過食、耳鳴りの有無などを記録してグラフにしています。
あとは「PCのモニターが凝視できなくなる」「周りの声や音が気になってしまう」などの感覚過敏の症状や「仕事帰りに喫茶店に寄った」など、自分ならではの体調悪化のサインも記録に残していますね。
「仕事帰りに喫茶店に寄った」。これにはどんな意味があるのでしょう?
疲れていると、乗換駅の喫茶店に駆け込んでしまうんです。普段は週初めで寄ることはないので、月火水と寄っている時は「今は体力がないな、体調が悪いんだな」と自覚できます。
また、調子の悪さを自覚したら「自己評価が低い」「他人と比較してしまう」「楽しむことへの関心がない」などのチェックリストに自分の状態が当てはまるかを確かめ、うつ状態かどうかを客観的に判断するよう努めています。
なるほど。記録し続けるのは大変かと思うのですが、継続のコツは?
100%でやろうとしないことですね。たとえ記録できない日があっても、後から「この期間はずっと体調が悪かった」と振り返って記録すれば良いと思っています。
記録に穴が開いてもOKとしているのでしょうか?
そうですね。やめてしまわないことの方がずっと大事です。
体調記録は「ミニカルテ」だと思っています。病院でカルテに関わる仕事をしていたので、記録が重要だという感覚があるのかもしれません。
波のグラフがあると通院時に体調を振り返りやすく、自分の体調を伝えやすいんですよね。家族とのコミュニケーションや職場の面談においても、視覚的に示せるので体調を共有しやすくて。
ちなみに、調子が悪いと自覚した時はどう過ごしていますか?
本来は外に出て刺激を受けたい性格ですが、調子が悪い時は家にこもる人が多いと当事者会で聞いてから、家でゆっくり過ごすようにしてみました。
すると、調子が悪い時に行動することが体にとって負担だと体感として分かってきて。今は家でサッカーの試合を観たり、本を読んだり、ラジオを聴いたり、長めに寝たりしています。
働き続ける工夫についても教えてください。
会社を出たら仕事から意識をそらし、心と体を休めるようにしています。
以前は退勤後も仕事が頭から離れませんでしたが、体力回復の妨げになって調子を崩し、かえって支障が出ていたんです。
今は心を穏やかにすることに集中し、仕事帰りに好きなショップや本屋に寄って気分転換しています。
調子を崩してしまった時、仕事はどうしていますか?
割り切って休んでいます。
以前は「今頃、自分の業務を他の人がやっている。また迷惑をかけている」と落ち込んでいたのですが、今は「しっかり休んで体力を回復させよう」と思えていますね。
どうしてそう思えるようになったのでしょう。
今の会社で働くうちに「だいたい3日休めば元に戻れる」と分かってきて。
最初は「もう3日も休んでしまった」と思っていましたが、徐々に「3日休めばこれ以上悪くならないぞ」と自信が持てるようになったんです。
「実際にこれで回復した」という成功体験の積み重ねが、自信につながったんですね。
そうですね。
仕事で心掛けていることはありますか?
こまめに休憩を取るようにしています。
仕事に集中する時間を学生の授業のコマ数のように考えていて、調子がいい時は大学の90分、調子が悪い時は高校の60分、もっと悪くなったら小学校の45分で区切って休憩を取っているんです。
面白いですね。
あとは、他人と比較せず、出来ない自分を認めることが大切だと思っています。
前職では苦手の克服にばかり気を取られて疲弊していましたが、ある日同僚に「職場を和ます存在で助かっている」と言われ、少し気が楽になったんです。
それからは、目に見える成果よりも、自分が得意とする「周りをサポートする働き方」が出来ているかに重点を置いています。
今の職場でもそれを意識されていますか?
はい。新しく入ってきた人に率先して仕事を教えたり、同僚のフォローをしたりと自分らしさを出せているのかもしれません。そのおかげか、コミュニケーション能力を評価されることが多いですね。
得意を生かせると無理が少なくなり、より自分らしいペースで働きやすくなるのかもしれませんね。
お話を聞かせてくださり、ありがとうございました。
イラスト:あかり*生き辛いOL
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フリーライター
1989年生まれ。美容業界紙専門の出版社での編集・ライター業、web制作会社でのライター業を経て独立し、2019年から本格的に取材記事の執筆をスタート。これまでに発達障害、精神疾患(当事者・家族)、LGBTQ、ジェンダー、不妊治療、子どもの貧困、特別養子縁組などのテーマを扱う。ADHD・ASD当事者。