※個人の体験に基づくお話をもとに構成しています。あくまでも参考情報としてお読みください
障害者雇用枠での働き方として、一般的には非正規雇用が思い浮かぶかもしれませんが、例外も存在します。
今回お話を聞いたのは障害者雇用枠の正社員としてリーダー職を務める「はるパパ」さん。
これまでの職歴や休職歴、現在の仕事内容などについてお話しいただきました。
〈聞き手=松浦秀俊(双極はたらくラボ編集長)〉
※インタビューは2023年7月に実施しました
プロフィール はるパパ
・双極症Ⅱ型 病歴20年
・40代
・自動車関連メーカーに勤務(障害者雇用枠の正社員)
・妻と子3人の5人家族
目次
双極症はいつ発症されましたか。
診断されたのは2021年です。
ただ、初めて休職したのは2005年で、当時は抑うつと診断されました。
双極症ではなく、抑うつだったんですね。お仕事はされていたんですか。
はい。地元で営業職の仕事に就いていたんです。
大学を卒業後、最初に就いた仕事も営業職でしたが、2年で退職しました。
地元に戻ってきてもう1回営業職に就いたんですが、営業にこだわりがあったわけじゃなくて。
「文系だから、営業しかないかな」くらいの気持ちでした。
1社目を2年で辞められたのには、理由があったんですか。
訪問販売の仕事だったんですが、押し売りの負い目を感じて、きつかったんです。
営業自体は嫌いじゃなかったので、業務内容が違う営業職を探し2社目に転職しました。
法人営業で仕事内容はよかったのですが、対人関係に問題が生じました。
何があったのでしょうか。
上司から新人いじめのようなものを直接受けて。やることすべてを否定されたり、無理な要求をされたりしました。
周りは「あの人(上司)はいつもそうだから気にしなくていいよ、大丈夫だよ」と言ってくれましたが、耐えきれませんでした。
そこで1回目の休職期間に入ります。
理不尽なことを言われたんですね。
そうですね。
まだ20代で社会経験が浅かったせいもあり、簡単に心が折れてしまいました。
休職直前、症状や変化はありましたか。
抑うつの症状によってテレビを見るのもつらい状況で、土日の休みもずっと横になっていました。
睡眠の質がどんどん悪くなって、睡眠時間も短くなってきて。
このタイミングで病院に行ったら、すぐに抑うつの診断書を渡してもらえました。
病院へ行くための1歩目のハードルが高い方もいらっしゃいますが、ご自身の判断で行かれたんですか。
はい。
正直、受診することに抵抗はありましたが、追い詰められて「もう行くしかない」と。
周りの方から「行ってもいいんだよ、大丈夫だよ」とすすめられ、背中を押してもらえたのも大きかったです。
実際行ってみてどうでした?
町の心療内科だったんですが、びっくりしましたね。患者さんたちは苦しそうで、叫び声をあげる方もいらっしゃったし。
症状が重めの方もいらっしゃったんですね。
大病院の拠点の1つだったので、重い症状の方も含め、多くの患者さんがいらっしゃったんだと思います。
初めての診察で先生とやり取りされて、どう感じられましたか。
初診の先生はよく話を聞いてくれて、話しているうちに自分の状態もよく理解できました。
でも次の院長先生は、ロボット的というか、最低限のことしか言わない人で……あまりいい印象ではなくて。
さらに休養の期間が3年と長く、途中で休職期間も終わってしまい、無職になったんです。
お金の面もあり「これ以上通ってもダメだ」と感じて、約2年で通院をやめてしまいました。
3年間のうち最後の1年は自宅で、自分なりに療養していましたね。
2社目は休職期間が満了して、離職扱いになったんですか。
それが違うんですよ。今思えば本当にありえないんですけど。
休職2か月目くらいで辞めさせられ、自己都合の退職として扱われてしまったんです。
当時の自分は社会を知らなかったので、受け入れてしまいました。
抑うつだと判断自体が難しいと思いますが、言われるがままに退職させられてしまったんですね。
はい。その場で退職願を書かされましたね。
じゃあ、休職扱いではなくなってしまって、その後は収入がなかったんですか。
失業手当を3か月貰いました。
あとは社会保険を任意継続していたので、傷病手当金を1年半くらい貰っています。
では、月給の3分の2くらいの収入はあったんですね。
はい。親の理解もあり、地元に帰り実家で療養できたので、なんとかなりましたね。
病院に通わなくなってから1年は、基本的に家で過ごしました。
習い事もしていましたが、正直ニート状態と言っていいと思います。
ご実家にいることで生活できるのであれば、それも1つの選択肢だと思います。
ただ、同じような状況でも、なかなか親御さんが理解してくれない方もいらっしゃいますよね。
ご両親に受け入れてもらえたのは、なぜだと思いますか。
母がおおらかな性格だったからでしょう。
父も自分の会社に息子を入れるという考えがあったみたいで、声を掛けてくれたんです。
ただ父の会社に入ったとしても、職種はまた営業でした。
2回も営業で失敗しているので自信がなく、結局入社しませんでした。
3年間の休養を経て、今のお仕事に就かれるんですよね。
はい、ちょうど30歳でした。
次の仕事を始めようと思ったきっかけはありましたか。
自分の力で回復できたことで、自信が戻ってきたんです。
習い事もよかったのか、体調が上向いて、薬も飲まなくなっていました。逆にプロテインを飲んで、身体を鍛えるほど回復していたんです。
就業のためエージェントに登録し、面談で「仕事に復帰したいです」というお話をしました。
すると担当の方が「抑うつになるのは優しい人なんですよ」と言ってくれて、心が軽くなりましたね。
おかげで「もう1回やろう」という気持ちになれたんです。
「抑うつは心が弱いからなる」という偏見で、自分でも余計に「ダメだ」と思い込む状態にならなかった。
いい面を見てもらえたんですね。
今は自動車関連メーカーで働かれているということですが、具体的にどんなことをされているんですか。
主な業務内容は、自動車の製造ラインに部品を届けることです。車や台車で部品を運んだり、仕分けたりしています。
月~金曜の8時間労働です。
障害者雇用では契約期間が決まっていることが多いので、正社員は珍しいケースだと思います。
はるパパさんの会社では特に珍しくないのでしょうか?
他の会社の条件はあまり分かりませんが、僕の場合ちょっと特殊でした。
今の会社で10年働いたタイミングで、外部の会社から転職のお誘いがあったんです。
ステップアップのつもりで承諾したのですが、そこでうまくいかず、2回目の休職になってしまいました。
双極症の診断を受けたのはその時ですね。
確かに性格的には、躁状態に入りやすかったのかもしれません。
診断前も、低空飛行していたところから就職・復帰できたことで、テンションが上がり躁に近い状態になったことがありましたから。
診断後は思い切って、障害者手帳を取りました。その後は、元の会社(10年勤めた)に戻してもらっています。
復帰の際に勇気を出して、手帳を持っていると明かしたら「障害者雇用枠の正社員で」と言っていただけたんです。
休職前に勤めていた当時と仕事内容は変わったんですか。
基本的に変わっていません。会社に配慮してもらいながら、現場でも使ってもらっています。
ちなみに同僚は、僕が障害者雇用枠だと知りません。
普通に「あれ、どこ行ってたん。なんで戻ってきた?」みたいな感じで、受け入れてくれましたね。
一般的に障害者雇用では、時短勤務や業務の負荷の軽減など、何かしら配慮されます。
その点はるパパさんは、病気がオープンで手帳を持っているから「障害者雇用枠でも条件面は一般の人と変わらない」ということですか。
残業時間が限られていたり、海外出張に行けなかったりという制限はあります。
でも基本的な業務内容は、一般の方と変わらないです。
今の職場のおかげで、制限はあっても一般の方と同じような条件で働ける環境もあるのだと、知ることができました。
『ちょっとのコツでうまくいく! 躁うつの波と付き合いながら働く方法』
を2024年9月27日(金)に発売します。
双極症での働き方に悩む方へのヒントが詰まった一冊です。ぜひお手にとってご覧ください。
※本ページのリンクから商品を購入すると、売上の一部が双極はたらくラボに還元されることがあります。
双極はたらくラボのLINE公式アカウントでは、登録者限定の情報を配信しています。
少しでも興味のある方は今すぐ以下をクリックし、友だち追加しましょう。
LINE公式の友だち追加はコチラ
※簡単に登録できます
ライター/編集者/ヨガ講師
1994年生まれ。双極性障害やうつ病の友人との交流を機に、精神疾患に関する勉強と記事執筆を開始。ヨガ講師として人の心身に向き合う活動にも取り組む。