2023年3月25日(土)に無料のオンラインイベント「双極はたらくラボ fes’23」を開催しました。
「双極性障害で働くヒントがみつかるイベント」をテーマに、編集長の松浦と当事者の方2名が対談。
「双極性障害と職歴」「働く上での困りごと」「働く工夫」と3つのテーマに分けて行われた対話内容を、全3回にわたってお届けします。
今回は、1つ目のテーマ「双極性障害と職歴」についてです。
プロフィール 割れヒザ
・双極性障害Ⅱ型
・40代
・専門商社で人事職、病気はオープンで正社員
・新卒で消費者金融で顧客対応3年、現在の専門商社の人事総務部で14年
プロフィール りつ
・双極性障害Ⅰ型
・30代
・フリーランスフォトグラファー
・新卒で保健室の先生約5年勤務し、その後フリーランスフォトグラファーとして活動
プロフィール 松浦秀俊
双極はたらくラボ編集長/精神保健福祉士/公認心理師
1982年島根県生まれ。21歳の時に双極性障害を発症。20代で転職3回休職4回を経て、リヴァの社会復帰サービスを利用。のち、2012年に同社入社(現職での休職0回)。 一児の父。
まず1つ目のテーマ、双極性障害と職歴について伺います。
双極性障害の方の中には、1社に勤め続ける方もいれば、何度も仕事を変えたり、職場の中で休職・復帰を繰り返す方もいると思います。
振り返ってみて、お二人はいかがでしたか。
私が双極性障害と診断されたのは、21歳で大学生の時でした。
当時、保健室の先生になるために教育学部に通っていたので、診断されたときに一瞬「双極性障害でも保健室の先生になっていいのか」と迷いました。
でも、そういう先生もいてもいいんじゃないかと思って、進路を変えずに保健室の先生になったんです。
働き方はどうでしたか。
常勤講師だったので、例えば産休・育休の先生がいない間に、期間限定で代わりの先生として入るような形ですね。
1校目は中学校の1学期だけとか、2校目は1年半だけとか、約5年でいろんな学校を転々としました。
転々とすることが、負担にはならなかったですか。
双極性障害の私には、転々とする働き方が合っていたと思います。
でも、フルタイム勤務が難しかったんですよね。薄々気づいてたんですが、それを無視して仕事を続けるうちに、ますますしんどくなって。
その上、パートナーとの同居開始、幼稚園勤務になるなど環境の変化が重なりました。
ちょうど、コロナ禍に突入し始めた頃でもあったんですよね。
それまでは当たり前の日常がずっと続くと思っていましたが、「あ、そういうことではないんやな」って思わされた機会でした。
以前から趣味でやっていた写真を仕事にしたいと思っていたので、これを機に挑戦してみることにしました。
幼稚園とは1年契約でしたが、状況と体調を説明して1学期での退職を決め、少しの勉強期間を経て、2年前の4月1日にフリーランスでフォトグラファーを始めました。
それでキャリアチェンジされたんですね。
昔から1つのところに長く所属するのは難しかったんですか。
いや、そんなことないですね。高校1年生から大学卒業まではずっとマクドナルドのバイトを続けていたので。
フルタイム・週5日で働くことが、本当に合わなかったんだと思います。
フルタイム・週5日勤務の時は、どのような感じでしたか。
中学校に勤務していた時は激務で、毎日12時間以上朝から夜まで働くのが普通でした。
小学校勤務の時は、定時の17時で帰れる日もあって、差が激しかったです。
正直、頑張れてた時とそうでない時があったと思いますね。
頑張れていない状況では、子供たちや保護者、同僚の先生に申し訳なく感じていましたが、保健室の先生はやりたい仕事だったので、葛藤しつつも続けてたんです。
それが、コロナ禍がきっかけでやめる勇気を出したっていう感じですね。
資格はありますし、仕事が嫌いで辞めたわけではないので、再開したくなれば、また挑戦してみようかなという気持ちもあります。
割れヒザさん、りつさんのお話を聞いてみていかがですか。
資格もあるということで、フレキシブルに職を変えれるってことは、すごくいいことだなって思いました。僕は1回転職したぐらいなので。
割れヒザさんは、双極性障害と職歴について、振り返るとどんなことがありましたか。
大学卒業した後に新卒で金融機関の方に入社しました。
数年後、今の会社に転職するんですが、1年足らずで適応障害になってしまい、4か月間休職することになりました。
4か月休まれて、そのまま復職されたんですか。
はい。人事に移動する形で復職をしました。
復職後は、採用・研修・総務など幅広く仕事をしていましたね。
ただその後も、適応障害で1~2か月の休職というのを、2・3回繰り返しまして。
3年ぐらい前に診断が双極性障害に変わって、今に至っているので、普通のサラリーマンって感じです。
なるほど。初めは適応障害だったんですね。
適応障害と診断される前の話ですが、過重労働や自分の能力不足などもあって、命を終えてしまいたいと思うことがありました。実際にレンタカーを借りて、準備をして。
どうせ最後だから「銀座の高級クラブで豪遊したろう!」と思って、クラブに行ったんですよ。
酔っぱらって、ホステスの方に「自分はもうこの後、命を終えようとしてるんだよ」と打ち明けたら、その方が「もうすぐお店が終わるから外で待っていてほしい。一緒に飲みに行こうよ」と言ってくれたんですね。
半信半疑で外で待っていたら、実際に飲みに連れてってくれて、命を終えようとする行為をやめるように説得してくれました。
次の日に、心療内科に行って適応障害と診断されて休職に入ったというのが、最初の診断までの経緯です。
大変な時期だったんですね…。
それで休職された、と。
診断された後は、どうだったんでしょう。
ここからが、また大変で。
休職後1週間ぐらいたったタイミングで、当時お付き合いしていた彼女の妊娠が判明したんです。
休職してすぐだったので、この先どうなるかわからない不安の中で、まさかこんなことが今起きるのかと。「神様、めっちゃ試すやん俺を」と思いましたね。
不安はありましたが、親の反対を押し切って、彼女と子どもを持つ決断をして結婚しました。
しばらくは問題なく過ごせていたんですけど、2~3年の周期でメンタル不調を繰り返すようになり、その都度、適応障害と診断されていました。
薬は服用していたんですが、あんまり効いたようには思えなかったですね。
飲まないときもあったり、逆に仕事が忙しくなって気持ちを上げなきゃいけないときには、過剰に服用したりして、非常に不安定な状態が続きました。
お酒もかなり飲むようになってしまって、家で暴れたり、記憶を飛ばしたり、店員さんと揉めて警察沙汰になったり。そういうことが積み重なってしまった結果、離婚して今はバツイチという状況です。
離婚後も、数年おきにメンタル不調になっていました。
そこから双極性障害と診断されるきっかけは、なんだったんですか。
会社でストレスチェックを受ける機会があり、そこで高ストレス者と判定されたので、医師と面談することになったんです。
そこで「あなたは双極性障害の可能性がある」と言われました。
その旨を産業医に相談したところ、その産業医とも「確かに双極性障害の可能性が高い」という話になりまして。
すぐ紹介状を書いてもらって、 今の主治医の先生のところに行きました。
そこで3年前に双極性障害と診断されて、今に至ります。
双極性障害で診断をされても、人によって症状の出方だったりスパンだったりが違うから、不思議ですよね。
そうですよね。
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双極はたらくラボWebメディア責任者
1999年東京都生まれ。2022年に新卒社員としてリヴァへ入社。